「隠れ里の一夜 =後編=」  来た道を戻り、階段を登って廊下に出ると、女の子は元来た方向と反対側に彼女 を引っ張っていった…不振思った彼女は、  「ちょっ…ちょっと、どこに行く気?」  彼女は慌てて聞いた。  「そろそろ、夕御飯の用意が出来て居る頃だから母屋まで案内するね。おばあち ゃんがお姉ちゃんのことを気に入って一緒に夕飯を食べたいって!」 と、女の子は嬉々として言った。それを聞いて、彼女は、  「…でも、髪が洗い晒しだし…纏めたいから一度部屋に戻らしてくれない?」  「いいから、いいから」 と、言って女の子は無理矢理彼女を引っ張っていった…  母屋に着くと、女の子は障子を開けて、  「お母ちゃん、おねいちゃんを連れてきたよ…」 と言うと、次の間…多分そこが厨房なのだろう…から暖簾をくぐって出てきた姉様 被りをして割烹着を着た女は、彼女の乱れた髪を見て一寸驚いたが、落ち着いて自 分の髪に挿していた柘植の櫛を手に持つと、彼女の後ろに回って、  「あらあら…こんなに乱れて…済みませんが一寸そこに座って下さいな」 と、言って彼女の方に手を置き、彼女を座らせた。  そして、馴れた手さばきで彼女の髪を梳かし始めた。  「済みませんねぇ…家の子がご迷惑を掛けて…」 と、女は言うと  「こらぁ、あんだもおなごなんだから、ちっとはけんげえろ?」 と、少し怒った口調で女の子に言った。  「いえ…迷惑なんて…」  彼女は女の子をかばったが、聞き流されてしまった…  女は彼女の髪を綺麗に纏め、結い上げると隣の間の障子を開けて  「済みませんが、こちらで私達と一緒に夕食を取って下さいな」 と言って、彼女を隣の間に通した。  そこには囲炉裏があり、大きな鉄製の鍋が掛かっていた。  女が示す場所に彼女が座ると、彼女の前には、太い柱を背にした先ほどの大男が どっしりと座っており、彼女の右隣には老婆が座っていた。また彼女の左隣には先 ほどの頭巾を取り、代わりに姉様被りをした女の子が座っていて、その隣に厨房か ら膳を持ってきた女が座った。  「今日は、一人で泊まるお客さんはあんただけじゃ、だからここで一緒にわしら と食事をして貰うけど、迷惑じゃったろうか?」 と、老婆が口を開いた。  「いえ…こちらこそ、無理言って泊めて貰いましてありがとう御座います」  彼女は改まって手を付いて頭を下げた。  「ごめんなさいねぇ…今日は宴会お客さんが居てうるさいですけど…そのかわり お客さんには特別な料理を出しますので、許して下さいね」  そう女が言うと、  「いいえ…そんな!」  彼女は手を横に振って答えた。  「今夜は冷えますから、まずは一献…」 と、言って女は彼女に酒を勧めた。  猪口に注がれた酒を一口あおると、  「ま…つたない田舎料理ですが、わしらがご先祖様から伝わるマタギ汁じゃ。暖 かい内にたんとおあがり」 と言って、老婆は大男が注いだ碗を受け取り、彼女に勧めた。  「はい、いただきます」  彼女が湯気の立つ熱い汁物を口にした。  「どう?美味しい?」  女の子が覗き込むように訪ねた。  「…美味しい!!」  嬉々として目を細めてこれ以上無いというような心からの感激の声を漏らすと  「よかったよかった…」 と、老女がしわくちゃな顔を一層しわくちゃにして言うと、他のみんなも食事を始 めた…  食事をしながら会話が弾んでいた。  「…そうですか、東北地方の民話を研究しているですか」 と、女が目を細めて聞いた。  「はい、私の夢は将来学校の先生になることです。そこで子供達に色々楽しいお 話がでれきればいいなと思いまして…」  「ふーーん、ねえねえ…あたしにも聞かせて」  女の子が身を揺すって、彼女にせがんだ  「そうねぇ…食事が終わったら聞かせてあげるね」 と、片目を瞑って彼女が答えると  「わぁい」 と、女の子は諸手を上げて喜んだ。それを見た老婆が  「これこれ…食事中は暴れるんでない!」 と、たしなめると  「はぁい…」  女の子はシュンとしてしまった…  その後、彼女と夕飯を共にしたいと言い出したのは、実は女の子だったことが暴 露され、暴露した老婆に対して女の子が真っ赤な顔をして膨れていたなどの笑いの 一幕もあった。  …こんなに風に楽しい食事が続いた…  夕食後の楽しい団欒のひととき、彼女は女の子せがまれて自分が聞いてきた民話 を語って聞かせた。  またその後、老婆から貴重な民話を聞くことが出来た。  「こんな、つたない婆の話でよけりゃ、いくらでも語って聞かせてあげましょう …」  「いえいえ、私に取りましては貴重な研究資料ですから…お願いします」  彼女に請われるままに老婆は話を始めた。  「…この地方には、『隠れ里』と言う物があってなぁ…」  「『隠れ里』というと、あの民話のあれですか…?」  「そうじゃ、あの話はこの辺りの民話を題材にした物じゃ」 と、老婆は言ってニッコリと笑った。  「…そうでしたか…」  と、言う具合に彼女は老婆から貴重な民話をいくつも聞くことが出来た。  また、女の子に手を引かれて自分の部屋に帰った彼女は、老婆が話してくれた数 々の民話をノートにまとめていた。  やがてまとめ終わると、床に入って横になったが、老女の話に興奮してなかなか 寝付けなかった…そのうちに彼女は尿意をもよおし、床を抜け出して、便所に行っ た。  何度か迷いながら便所にたどり着き用を足して自分の部屋に戻ろうとしたが、彼 女は道に迷ってしまった…幾重にも折れ曲がる廊下を行きつ戻りつしていたが、な かなか部屋にはたどり着けなかった。  …廊下のある角で立ち止まってキョロキョロと辺りを見回していると、前方から 明かりがこちらに向かって来るのが見えた。  明かりが近寄ってくるのを待っていると、その明かりの主は女の子であった。 「助かった…」と、思った彼女は女の子に声を掛けた。  「ねぇ…道に迷っちゃったんだけど、部屋まで連れていったくれない?」  「うん、いいよ…」  女の子は二つ返事で了解すると、彼女の前を歩きだした。  「やっぱり、おねいちゃん道に迷ったね!」 と、笑いながら女の子は言った。  「うん…この家大きくって廊下が複雑に曲がりくねっているから…」 と、彼女もつられて苦笑いをした。  彼女は気を取り直して、  「ねぇ…こんな夜更けにどこに行くの?」  「…うん、お客さんがみんな寝静まったから、温泉に入りに行くの」  見ると、中庭の向こうの部屋は明かりが既に消えていて、静まり返っていた…  「ふーーん、旅館の子って大変なのね…」 と、彼女が同情の意味を込めて言うと、  「うん…」 と、女の子は素っ気ない返事をした。  女の子は手ぬぐいを頭から被っていた。彼女はそれが気になって  「ねぇ…どうして手ぬぐいを被っているの?」 と、聞いた。  「うん、温泉に入りに行くから…」  …どうやら、女の子はこの事に触れられたくないと言った素振りを見せて返事を した。彼女も、女の子が嫌がることなら、これ以上追求はすべきでないと判断した。  …その時、突然。  「ぼーーーぅ」 と、梟の鳴き声がした。  梟の鳴き声に驚いて彼女は咄嗟に女の子の肩を掴もうとしたが、謝って頭に手を やってしまい、手ぬぐいを指に引っかけた…  「アッ…」  女の子の被り物が静かに落ちた…女の子は慌てて頭を手で覆ったが、彼女は女の 子の頭を見てしまった…そこに彼女が見た物は、まるで鹿の子供か山羊の様な二本 の角のような物であった…  「あなた…それ…」 と、言って歩み寄ろうとした彼女の前に突然胸毛も立派な大男が割って入り、彼女 の前に立ちはだかった…その姿は、まるで妖怪”山男”の様であった…  「みーたーなぁ…」  その声に驚いて後ろを見ると、真っ白な顔をした老婆が立っていた…その姿は、 妖怪”白粉婆”の様であった…  「なっ…何を…?」 と、彼女が言った途端、  「あなたは、見てはいけない物を見てしまったのよ…」 と、また別の声の主に驚いて振り返ると、白装束の着物を着て髪を振り乱した女が 立っていた…その姿は、妖怪”雪女”の様であった…  彼らがこの旅館の主人一家であると気付いたときには、彼女は壁を背にして三方 から囲まれる形になった。  三人の鬼気迫る形相に、彼女は怖くなり、壁に沿ってずるずるとその場にへたり 込んでしまった。  「よっ…妖怪…!?」  彼女は思わず思っていたことを口から出してしまった。それを聞いて、  「…我々の正体が知られてしまったのでは、仕方がない。死んで貰うかこの隠れ 里の住人なって貰うしかない」 と、大男が腕組みをしながら彼女を真上から見下ろすように言った。  「かっか…か、隠れ里?」  しどろもどろで彼女が言うと、  「そうじゃ、ここが先ほど話してやった、隠れ里じゃ!」 と、すさまじい形相で、老婆が言った。  「お前は、この里に連れてこられたのじゃ…」 と、女が冷ややかな面立ちと声で言った。  彼女は驚いてただ、唖然とするばかりであった…  「どちらがよいかぁ!」 と、大男が強い口調で彼女に対して脅すように言った。  彼女は歯の根が合わずガチガチと歯を鳴らして怯えていた…  「さあ!」  「さあ!!」  「さあ!!!」 と、まくし立てる三匹の妖怪に急き立てられるが、彼女は思考が完全に停止してし まった…  「黙っていては判らぬわ!」  大男は彼女の顎を掴んで上に持ち上げた。  「こんなに、綺麗なおなごなら、里の人間と夫婦にしてしてしまおうか…」 と、女が言うと  「そうだ、それがいい」 と、老女も賛成した。  「…お待ち!」 と、言って彼らを遮ったのはあろう事か女の子であった…途端に、三匹の妖怪は動 きを止め、女の子に道を譲った。女の子は彼女の側に歩み寄ると、  「わしは、先ほどから考えていたのだが、この女は、子供達に物を教えるという 崇高な夢がある。民話を研究しているのも子供達に民話の楽しさを教えるためであ る…ひとつこの女の命を助けてこの女の世界に返してやろうと思うのだが…」 と、女の子は大人の女のような顔つきで凛とした口調で言った。  彼女は、女の子の堂々とした態度に目を丸くしていた…  「しかし、脂粉仙娘(しふんせんろう)さま…それでは、我らの存在を人間に知 られることになります」  老婆がうろたえて言った。  「そうですとも、それに我らの掟が破られます」  大男も言った。その言葉に女の子は静かに首を横に振って、  「いいや、わしはこの女が気に入った。この女のことを信じてやりたくなった」  「し、しかし…」  女も女の子の袖にすがるような口調で言った。  「だまれ!」  女の子が一括すると、三匹の妖怪は竦み上がった。  彼女は女の子と、三匹の妖怪の立場の逆転に付いていけなかった…  「フッ…我らのことを知られる?いいではないか!人間共は昔のように我らを怖 がらなくなった!!いや…我らの存在自体絵空事として扱っておる。そんな人間共 に今一度我らの存在を示し、目先の欲をむさぼり大事なことを見失った人間共に教 えてやらねばならない」  女の子は静かながら強い口調で言った。  「だから、この女を元の世界に返し、子供達に自然の大切さ、心のゆとりを教え て貰おうと思ったのだ…」  そう言って、女の子は震えている彼女の前に座り込み、彼女の視線と自分の視線 を合わせると、ニッコリ笑って、  「おねいちゃん、そう言うわけでおねいちゃんには人間の世界に帰って貰うね。 そして、ここでの出来事も含めて今まで集めた民話を子供達に語って聞かせてね! …そして、いつかきっとここに帰ってきてね」  と言った女の子の表情は幼い子供の表情になっていた。  しかし、彼女は怯えたままで女の子の言うことを一々頷いて聞いているだけだっ た…  「じゃ、話は決まった…」 と、女の子はまたニッコリ笑うと  「おい、山男!」 と、大男を見上げていった。  「へい」  大男は夜空に向かって歌を歌い始めた…その歌は来るときに聞いた歌と似ていた。  その歌を聴いている内に彼女は恐怖心が柔らんで行く気がした。  …そして、強烈な睡魔が襲い、彼女は寝てしまった…  「…オキャクサン…お客さん…」  体を揺すられる感触に目を覚ました彼女は驚いて起きあがった。  「困りますよ。お客さんこんな所に寝てちゃ…」  彼女を起こしたのは国鉄の制服を着た駅員だった。  「…あら、やだ…あたし…」  何がなんだか判らなくなっている彼女は駅員に向かって  「…ここは、どこでしょう…?」 と、聞いた。  それを聞いて駅員は呆れた顔をして、  「ここは東北本線の***駅の待合室ですよ」 と、つけ放すように言って立ち去った。  彼女は呆然としたまま、混乱した頭の中を整理していたが…ふと思い立ち、歩い ている駅員に向かって、  「今日は何日でしょう?」 と、訪ねた。  「今日は、2月3日。節分の日ですよ!ついでに時間は6時です」 と、駅員は怪訝そうに言った。  「あれから、一日経っているのだわ…」  彼女は独り言を口にすると、窓の外を見た。  窓の外には朝日にキラキラと映える一面の雪景色と遠くより駅舎に向かってくる 上り列車の姿が見えた…  「間もなく、八戸発仙台行きの急行列車が参りまーーす。お乗りの方は1番ホー ムにお越し下さい。間もなく改札を始めまーーす」  「キャーーー、乗ります乗ります」  彼女はそう叫ぶと、身の回りの荷物を掴んで改札の方に駆け出した。  上りの急行列車に飛び乗ってホッとする間もなく、彼女の脳裏に昨日の出来事が ありありと浮かんで来たので再び考え出した。  そして、  「これは、きっと夢に違いない…」 と、考えながら髪をいじってると…  「あれ…?」  彼女のその髪型は昨日の夢で女が綺麗に結い上げてくれた髪型になっていた…  …あれから、数十年。私達に楽しい民話を多く語ってくれた恩師は故人になり、 多分、今はあの隠れ里で妖怪達と楽しく語り合っている気がする… 藤次郎正秀